30歳になりました

1994年4月26日2時11分、札幌鉄道病院で産まれた私、30歳になりました。

4歳の私。今よりおしゃべりが上手。

 

小さい頃から歌ったり踊ったりするのが好きで、3歳くらいの時は篠原ともえの『ウルトラリラックス』を歌いながら踊っていたと母から聞いた。

幼稚園に入園して最初にちゅーしたいと思ったのは女の子だった気がする。この経験もあって100%シスヘテロな感じはしなくてセクシャリティが謎だし恋愛についてずっとわからない。一方で同じ組の違う女の子とはコミュニケーション不全を起こして、この頃から疑心暗鬼な性格。

小学生の頃は男の子と馬が合わず、ちょっかいをかけてくる子の股間を蹴って泣かせたり、取っ組み合いの喧嘩をして先生に怒られた。今も男の子とどう仲良くしていいのかわからない。

高学年の時にサブカルな友達ができて、12歳の夏休み、その友達と同時にアキハバラ@DEEPにハマって星野源と出会ってからはずっとサブカル。給食の時間にSAKEROCKを校内放送してもらうなど奇行を繰り返していた。その友だちと一緒にギターも始めた。

自分は頭がいいと勘違いしていたので、中学受験して中高一貫の女子校に入学した。ベースもこの頃始めた。中2の時に一緒のクラスになった子たちが怖すぎて敬語を使っていたら、高校卒業までずっと敬語キャラになってしまった。めちゃくちゃコミュ障。

中学時代は地学部と生物部に入っていたけど理系的な素養がまったく養われず終わり、高1の時は燃え尽きて帰宅部だった。が、暇すぎたので高2で美術部に入部。変な人ばかりで居心地が良かった。絵が上手な友達から自分の絵を褒めてもらえるのは気分も良かった。放課後は一人チャリでツタヤに行って10枚1,000円でCD借りるのを繰り返す日々だった。一人でできることしか好きじゃないようです。

早稲田の文講にワンチャン推薦で入れないかな〜と思っていたが、一学年上があまり頭が良くなかった影響で推薦枠が無くなったので、高3のハロウィンくらいまで自力で勉強するのがダルくて無気力だった。

奇跡的に巻き上げ、なんとか東京の大学に入れた。あんまり考えず大学と家を決めたので八王子が田舎過ぎてビビった。上京した年に大雪が降って、住んでたアパートの前の階段で一人でコケて泣きそうになった。

20歳、学部で「ほかのゼミに馴染めない人を受け入れてくれる」と噂のゼミに入ってのびのび過ごした。大学でできた友だちはいい奴ばかりだった。変な人が多くて助かった。サークルも入ったり作ったりしたけど漏れなく変な人ばかりで安心した。

就活はどうにかなるんじゃねと舐め腐っていたらどうにもならなかった。無い内定で大学卒業し、一度目の無職。一生無職でいたかったが、親に白い目で見られだしたので5月から派遣で働く。でもあんまりいい職場じゃなかったので翌年の夏に仕事を辞めた。二度目の無職。勝手に仕事を辞めたので、当時一緒に住んでた交際していた人から顰蹙を買った。親からお金をたくさん借りた。秋が終わる頃いい感じのバイトを始め、そのうち契約社員になった。楽しい仕事があるのを知った。

コロナ禍に突入。27歳、交際していた人と別れて同棲も解消。その数ヶ月後、コロナ禍に伴う業績悪化により会社都合で退職。三度目の無職。半年の間に恋人と住居と職を失った。ハローワークでの手続きが上手くなった。

8か月間無職だったけど、最高に素晴らしい日々だった。自分の本職は遊びだと悟った。親からお金をたくさん借りた。

29歳、いい感じの職場で派遣を始めた。久しぶりにまとまった金が手に入り遊びに遊びまくる。タロットを始めたし寿司も握り始めた。今に至る。

 

こうやって人生振り返るとろくなもんじゃなくてウケますね。

でも仕事が無くなって一人でのんびり人生について考えていた28歳も幸せだったし、いい感じの職場で働き始めた29歳も幸せだったし、遊び倒して迎えた30歳も幸せだし、やっと幸せであることが板についてきた感じです。10代はコミュニケーションやアイデンティティについて悩んでいたし、20代は全然社会に馴染めなくてつらかったし、ずっとわからないこととか苦手なことが多い人生だったので、近頃いい感じで嬉しい。

 

こうやって健康で生きていること、美味しいものを美味しいと感じられること、居心地のいい家があり暖かい布団で眠れること、毎日気に入っている服に袖を通せること、死が迫るような実感は今のところ無いこと、両親が元気なこと、兄弟と仲良くやっていけてること、誕生日を祝ってくれる友達がいること、全部特別なことですね。ネットの記事で「誰もが歳を取れるわけではないのだ」と言ってる人がいるのを目にして、30歳の誕生日を迎えられることの有難みが増しました。

数年前に知人が亡くなったんですが、その人が同人誌に寄稿した文章で「意思疎通から逃げて山をドライブしていると清々しいのだが山里に出て民家の明かりを見るとやはり安心するように、社会の中で人に囲まれて生きていたいのだと思う。」と書いていて、チバの「俺はアベの分までやり続ける」よろしく「私はこの人の分まで書き続ける」と思ったんですよね。社会生活に苦手意識はあるけど、せっかく生きてるんだから人と関わっていかなきゃもったいないし、発信しないと伝わるものも伝わらないんじゃないかなと。その同人誌に私も「文章書いてみませんか」と誘われていたんだけど、自信が無くて断ってしまい。それがあとあと悔しくて、「自分ちょっとなら文章書けます」という自信が欲しくてこのブログも書き始めた。いつまでも生きていられるわけでもないしいつでもチャンスが巡ってくるわけでもないから、その時やりたいことをちゃんとできるように、ちゃんと楽しめるように生きていきたい。

 

最近は人から何かが欲しい、人に何かしてほしいみたいな気持ちが無くなってきて(欲しいもの全部自分で手に入れちゃうから)、結構無欲で謙虚なゾーンに突入しています。なんかもうすぐ死ぬ人みたいな考え方になってきた気がする。死亡フラグか?でも「自分がこんだけ持ってるんだからプラスで欲しいものとかもう無いな」って感じ、綺麗事とかではなく。自分の至らなさをどうにかしたい、みたいな方向では「力が…欲しい…」と思うことはあるけど。誕生日会に友達からお金を貰おうとしておいて言うことではないんだけど、もし私に使おうとしてくれてるお金があるなら、自分のことに使ってもらったり戦争反対の募金とかに使ってもらったりした方がいいんじゃないかとか思う。自分でも胡散臭く感じるからちょっと嫌なんだけど笑、マジでそう思う。なんでだろ?バイオリズムで気持ちの浮き沈みが若干あるくらいで、不満とか枯渇感が特に無いです。「自分には何も無い」と思ってたこともあった気がするんだけど。不思議。

 

占い師に「あなたは我が道を行くことで人生が好転します」と言われてから、自然体で人生挑んでます。今後もそうしたい。自分には素直でいたいし、他者にはできる限り誠実に接したい。それを守って結果嫌われたり否定されたり駄目だったり傷付いたりしても、「それでも自分の思いに素直だった」「それでも誠実に振舞った」という事実は残るはず。

まあそんなに立派には生きられないけどね、全然どうしようもなく情けなくだらしない人間だし…金も地位も名誉も無いし頼りがいのない社会生活不適合者だから他者に対してできることなんて誠実である事くらいしかね〜よ。ちゃんと寝てちゃんと食べて余裕持って人に優しくしたい。

 

私も生きててめでたいが、みんなも生きててくれてどうもありがとうおめでとうございます。私のためのつもりではないにしろ私のためになっています。本当に。ねえ本当にそうだよ。大げさに思われるかもしれないけど、ただでさえ世の中世知辛いのに、疫病も戦争も災害も分断も大いにあるこの頃だから、生きてお話できるだけでもマジ嬉しいです。みんながそれぞれ自分らしく生きてくれてることで私は救われます。私の世界に居てくれてどうもありがとう。

まあこんなこと、自分に都合の悪い人との付き合いはガンガン切る排他的な人間だからこそ言えるのかもしれない笑。笑ってる場合じゃないか。マイクルーエルワールドに残留してくださってる皆さん本当にありがとうございます。選民思想

仲良くしてくれてるみんなが楽しく生きていってくれたらなーと思います。病める時もあるとは思いますが。誰かが戦ってたら一緒に殴りに行く気概を忘れずいたいです。本当サンキューです。

 

今、柴田聡子の『あなたはあなた』の気分なので好きな一節で締めます。

放っておいてとも思わないの わかってくれとも思わないよ 好かれても嫌われても 人と人とのことだもの いつか赤い屋根の温泉行きたいの