火曜の夜中に知人の訃報が届いて、その人のことをずっと思い出している。

 

大学時代のサークルの先輩で、友達の友達みたいな人だったので何度か遊んでもらったけど、卒業してからたぶん一度も会えていない。

おしゃれな人で一時期モッズみたいな恰好で登校してきていてかっこよかったこと、全然そういうキャラではないのにカラオケで遊助の『ミツバチ』を歌っていてめちゃくちゃ笑ったこと、あとはちょっと文章には残しておきづらいようないくつかのエピソードが印象に残っていて、とても面白い人で、その人にしかない感性があって紡ぐ文章も良くて、時々SNSを更新しているのを見ていいねをしたりしながら元気かなー機会があれば会いたいなーとぼんやり思っていた。

 

数年前に年賀状を交換したことがあった。

私がメイウェザーVS天心のイラストを描いて送ったら、丁寧に長めの文章付きでお返事をくれた。

読み返したら、「卒業してみんな色々環境だったり楽しいと思うことが変わってきたりしていると思いますが○○ちゃん(私)とは変わらず楽しい話ができる気がします。」と書いてあって、数年越しに改めて嬉しかったし、それでもなんとなく誘えなくて会えなかったことが悔しかった。会えていたとしても心残りはあっただろうけど・・・

 

友達が今年、周りのいい文を書く人の文章を集めて同人誌を作って、その人も寄稿していたので読み返してみたら、文中に「結局のところ僕は社会と人と繋がり続ける為に能動的に意思疎通をして交わり続けたい。意思疎通から逃げて山をドライブしていると清々しいのだが山里に出て民家の明かりを見るとやはり安心するように、社会の中で人に囲まれて生きていたいのだと思う。」という箇所があった。こんなに真摯に世の中と向き合おうとしていた人が今はもういないのかとやるせない気持ちになった。

 

(人間って一人一人違うのに、いなくなってしまうと大体同じようなひとつの感情とか考えに集約されること自体モヤモヤするし、こんなに受け止め難いことを早いうちに無理やりまとめていいものかとも思うけど、)ありきたりだけど、会いたい人には会っておかなくちゃいけないんだとか、うだうだしてないで行動しておかないと取り返しのつかないことになることもあるんだと思った。

 

自分は一人で思考をこねくり回しながら石のようにじっとしているのが好きだけど、好きなこと以外でも、やっておかないと結果的にネガティブな感情になることが確実にあるなと感じた。少なくとも、もう「金がない」とか「体力がない」とか、「自分が他者からどう思われているかを気にしすぎず率直にコミュニケーションをとる胆力がない」とか言っているのは馬鹿馬鹿しすぎると思った。泥臭く金を稼ぎ体を動かして無駄な恥を捨てて、自分のやりたいことや他者に向き合って行動しないと後悔するだろうな。どれだけ考えてもダメな時はダメだし。

考えて書いても何も変えられないかもしれないけど。今年、何も無いなりに色々あって、「変わりたい」という気持ちがあるので変えたい。どれだけやっても結果後悔するならやっていた方が絶対にマシ。会いたいし伝えたいし残したい。

 

こうやって文章で残しておくことって、どうなんだろう・・・とわからなかったけど、うすっぺらな感情ながら、どこか自分の目につきやすいところに今の気持ちを残しておきたい、忘れたくないというエゴがあったし、あわよくば誰かの目に触れた時に何か感じるものがあったらという期待がある。

行動の一環とするにはあまりにもくだらないが、このブログもかなりの量の下書きを放置していてもったいない気持ちになるのでぼちぼち更新したい。今の感情からは想像もつかないくらいすごいレベルの能天気な文章が残されていて怒りが湧いてきたのでまた放置する可能性があるが更新したい。

悲しいのを誤魔化したいのでしばらくミツバチを聴いて過ごすことにする。

 

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